お寺・史跡

三千院エリア(画像クリックでMAPが表示されます)

三千院

三千院苔と池泉の庭園、浄土世界を表す往生極楽院と国宝の優美な仏像が人気。自然林のなかのあじさい苑はやすらぎの散策地。新緑、紅葉も美しい。

http://www.sanzenin.or.jp

来迎院

来迎院
重文の薬師、阿弥陀、釈迦の三如来像をまつる。かつては声明の修行同上でもあった。

浄蓮華院

浄蓮華院
バラモン教から伝わり、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地といわれている。〈宿坊〉おつとめ、法話は自由参加。希望により写経(納経料1,000円)有り。定員/約10人(要予約)。〈精進料理〉夕食には山から取れるわらびやつくしなど豊かな季節のものを頂ける。電話または往復ハガキにて必ず予約を。

実光院

実光院
歴代住職は声明(しょうみょう=仏教の儀式音楽)を伝承することが本務とされる。不断桜(10月〜3月)とシャクナゲが美しい契心園がある。

宝泉院

宝泉院
樹齢600年を越す五葉松と竹林の額縁庭園が有名。一服のお茶をいただきながら、しばし俗世を忘れることができる。

勝林院

勝林院-2
かつて声明の修行道場。大原問答でも知られる。大伽藍(がらん)のなかの大仏さんは美男で見上げるほどの大きさ。

出世稲荷神社

出世稲荷
寛文年間(1661-73)、聚楽第のなかにあった社を移した。倉稲魂命ほかを祭る。社名は豊臣秀吉の出世にあやかったもの。本殿には6代目清水六兵衛作の神像、堂本印象の‘登り竜’天井図。また尾上松之助寄進の石鳥居、新門辰五郎寄進の狛犬が、境内にある。※7月2日に大原に移転。

http://syusseinari.or.jp

音無の滝

音無の滝
昔、高僧がこの滝に向かって声明の練習をしていると、滝の音と声明が和して滝の音が消えたという故事による。

呂川・津川

律川
声明の呂曲と律曲に因んで名づけらた。調子はずれのことを呂律(ろれつ)がまわらないというのも、このことからきている。

寂光院エリア(画像クリックでMAPが表示されます)

寂光院

寂光院
聖徳太子が推古2年に建立された古刹(こさつ)。その後、建礼門院が隠妻されて平家一門の菩提(ぼだい)をここで弔った。平家物語の大原御幸で名高い。新緑と紅葉のころの石段参道も美しい。

http://www.jakkoin.jp

阿波の内侍の墓

阿波の内侍の墓
大きさ30センチ余りの五輪の塔三基と宝筐印塔一基が青苔に埋もれ昔のままの姿で並んでいる。建礼門院に仕えた女房大納言佐局、佐部卿局、阿波内侍、右京大夫の墓といわれている。

建礼門院陵

建礼門院の墓
大原西陵ともいい、寂光院の上にある。東に面して円土の上に五輪の石塔と小さな石灯篭があり、石に玉垣をめぐらし、階段を設けて造られている。門院は建保元年に死去され、このところに葬られた。

史跡 おぼろの清水

朧の清水
寂光院への参道の途中にある泉。建礼門院が寂光院にお入りになる道すがら日が暮れて、月の明かりでこの泉に姿を映されたという。

落合の滝

落合の滝
焼杉谷川と西田谷川が合流する地点にある滝で、建礼門院の御歌「ころころと小石流るる谷川の、かじかなくなる落合の滝」で知られている。

乙が森

乙が森
森の中は大蛇の絡まったような大きな藤蔓があり、中央に龍王大明神の碑が建てられている。大原川の上流にある女郎ヶ淵に身を投げた「おつう」という女性が蛇身となって川を下り、この森で自分を捨てた若狭の領主の行列を待ち伏せして妨害したので、松田源太夫という侍が退治してその尻尾を花尻の森に埋め、頭の方を乙か森に埋めたとも言われている。

その他のエリア(画像クリックでMAPが表示されます)

阿弥陀寺

阿弥陀寺
中国風の山門から歩いて30分。山の中腹にある浄土宗のお寺。カエデの古朴の紅葉は見事で、夏の涼しさは格別。

江文神社

江文神社
大原郷八カ村の氏神である。もと毘沙門堂江文寺と合祀されていた。本社の祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)である。5月4日には江文祭、9月1日は八朔祭がおこなわれる。八朔踊りとは、大原に残る伝統芸能で、絣の着物に菅笠を被った宮座の青年たちが輪になり、道念音頭(楽器を用いない独特の節)で踊る豊作祈願の踊りである。

花尻の森

花尻の森
かつて源頼朝が、寂光院に隠棲した建礼門院を監視させた松田源太夫の屋敷址といい伝えられ、社には猿多彦命がまつられている。大原川の上流にある女郎ヶ淵に身を投げた「おつう」という女性が、蛇身となって川を下り、この森で自分を捨てた若狭の領主の行列を待ち伏せして妨害したので、松田源太夫という侍が退治して、その尻尾を花尻の森に埋め、頭の方を乙か森に埋めたとも言われている。

惟喬親王の墓

惟高親王の墓
惟高親王は文徳天皇の第一皇子ながら、母方が藤原氏の出身ではなく皇位に就けなかっった悲運の親王。悲しい歴史がいまも語り継がれている。