比叡山のふもと、四方を山に囲まれ心安らぐ田園風景が今も残る大原の里。
歌にも詠まれた歴史的名所や、盆地が生み出すみずみずしい大原野菜。
心打つ体験があなたを新しい京都に出会わせてくれます。
草花の香りや風の音が染みる、のどかな里。
京都市左京区の北東部にある大原は、四方を山々に囲まれた人口約2000人の盆地集落です。天台宗総本山の比叡山の北西麓に位置し、鴨川の支流のひとつである高野川が里を南西へと縦断しています。若狭(福井県小浜)から京都へおもに海産物を運ぶ“若狭街道”の中継地点でもありました。
のどかな田園風景が今も残り、ホタルが舞う清流や四季折々に移ろう美しい花々に心癒やされる自然豊かな里ですが、京都駅からのアクセスも良好。電車とバスを乗り継いで40分強ほど、車なら15〜20分ほどで、市街地から飛び出して、里山に囲まれたのどかなまちへとトリップできます。
大原の名刹に秘められた歴史を辿る旅へ。
大原は、かつて山城国愛宕群に属し、古くは小原(おはら)とも記されていました。良質の薪炭を生産する“炭焼きの里”としても知られたそうです。
大原という地名が見られるようになるのは、平安期。835年、最澄の弟子・円仁が開山した大原寺(勝林院と来迎院の総称)に由来するとされます。比叡山・延暦寺のふもとにあることから、延暦寺の影響を強く受け、勝林院・来迎院や、三千院、寂光院など天台宗の寺院が点在。風格ある寺院と四季折々の自然が織りなす景色は趣深く、貴人や文人が都を離れ、ひっそりと暮らす地として選ばれた山里でした。
寂光院もその一つで、平清盛の次女・建礼門院徳子が平家滅亡後、終生を過ごした場所です。後白河法皇が寂光院に隠棲した建礼門院を訪ねたことは、「平家物語」の謡曲・大原御幸に謳われ、平家物語ゆかりの尼寺として知られています。
美しい苔の庭園で有名な三千院は、誰もが一度はその名を耳にしたことがあるお寺でしょう。この大原の三千院一体は、日本で初めての仏教音楽「声明(しょうみょう)」の聖地としても有名です。三千院の山道奥に佇む勝林院は、円仁が唐から持ち帰った天台声明の修練道場として創建。本堂では、仏教のほか、民謡などの日本音楽に影響を与えた声明の響きを耳にすることができます。三千院からさらに山道をのぼると、声明の音律と融合して水音が消えたと言われる音無の滝も。
そのほか、絵画のように美しい庭園や、樹齢約700年の五葉の松がみどころの宝泉院や、秋から春まで咲く不思議な桜「不断桜」を有す実行院など名所が連なる大原。ゆっくりと辿りながら、大原の深い歴史に思いを馳せることができます。
盆地が育てる、甘くみずみずしい大原野菜。
歴史的名所の多い大原ですが、三千院や寂光院への参拝目的だけでなく“大原野菜を買いにきた”という観光客も増えています。盆地ならではの昼夜の寒暖差で、糖分がしっかり蓄えられた大原の野菜。特に大根や人参の根菜類はとても甘く、生で食べるとおいしさの違いが分かります。また、早朝に現れる小野霞(おのがすみ)と呼ばれる霞が、ほどよい湿度となってみずみずしい野菜を育ててくれるのです。そんな大原の野菜は、京都の著名な割烹やイタリアン、フレンチなど多彩なジャンルの料理人も仕入れにくるほど、ファンも多いです。
また、産地から販売所までが近いため、鮮度の良い野菜にありつけるのも魅力。採れたての野菜が「里の駅大原」の直売所や毎週日曜日に開催する「大原朝市」に並びます。
特産品としては、大原が発祥と言われる「しば漬」も外せません。しば漬は、もともと大原の各家庭で、赤しそと茄子などの夏野菜を漬け込み保存食にしたのが始まり。大原の里人が大原の地に隠棲されていた建礼門院さまに献上したところ、そのおいしさに大層お喜びになられ「紫葉漬(しばづけ)」と命名されたと言われています。
夏には、一面に広がる赤しそ畑を見ることができ、しば漬や梅干し、しそジュース作り体験も可能です。
里山の表情はいつの間にか移ろっていくせいで、
いつ訪れても出会ったことのない京都の景色がそこにある。
風薫る頃の高い空も、露で濡れた赤しそ畑も、
苔生したお地蔵さまに落ちる紅葉も、
しんしんと積もる雪も、その奥から聞こえてくる声明の声も。
大原の中にあるすべてが五感を刺激して、
新しい何かが生まれていく、新しい自分に出会える。
いつ来ても、何度来ても。
ふるくて、あたらしい京都に出会える場所、京都・大原。